マスメディアvs地方の悪代官

北京五輪に向け全力疾走中の中国。中国国内では思いも寄らないところにとばっちりが……

私は別に北京五輪反対派の人間ではないのですが、このニュースを見たときはこんな国でオリンピックを開いて良いものなのだろうか、と本気で思いましたね。正直な話、北京五輪絡みの環境問題とか食品の安全性問題とかは大げさに伝えられているところがあると思いますが、コレはいかがなものか。

生活保護者を危険分子としてしまうところはやはり独裁国家なんだなぁ、と改めて思い知らされるところですが、独裁国家に付き物なのが情報統制。一月は情報統制絡みで面白い話がありました。

遼寧省西豊県の警察当局が今月初め、地元共産党幹部の名誉を傷つける記事を書いたとして北京の雑誌記者を拘束しようとしましたが、マスメディアやネットで批判が噴出、ついには拘束を断念してしまったという話です。

この話を理解するにはちょっとした知識が必要になってきますので簡単に説明を。広大な国土と13億プラスαの人口を誇る中国で中央集権統治を行うのは至難の業。行政組織の末端まで中央が目を利かせるのは事実上不可能なので、地方レベルについてはマスメディアに政府監視機能を持たせて監督するという手段を講じています。

ただ、ここで問題が発生します。中国ではマスメディアは党の支配下にあり、地方のマスメディアは当地の政府の監督下にあるため、監視機能は事実上機能しません。中央直下のマスメディアだけではとてもカバーしきれない訳で、ここで行き詰ってしまうのですが、さすがは「一国二制度」なるシステムを導入してしまうお国柄。突飛な発想でこの問題を解決します。地方のマスメディアに別の地域の政府を監視させる機能を持たせてしまったのです。

中国語で「異地監督」と呼ばれるこの方法、効果はテキメンでした。地元ではしがらみがあって自由に動けない記者も、他地域ならそんなものを気にする必要はありません。折りしもメディアは百花絢爛の時代を迎えており、メディア間の競争が激化していますから、人民の関心が高い政府の政策や官僚の汚職問題は挙って報道されます。このような形で地方を牽制するシステムを築き上げました。

あともう一点。警察は所属地域外では自由に警察権を行使することができません。厳密には対象者の戸籍が自分の所属地域であればまだ話は通るのですが、そうでない場合は当地の警察と共同で動く必要が出てきます。この件では記者が北京所属だったため、勝手に拘束することができなかったのです。

地方幹部の専横は普遍的に存在するものなので何も目新しくはないのですが、この事件では記者の引き渡しを要求された当の雑誌が「警察が記者拘束を求める」と報道したためネット世論が沸騰、中央政府も世論に従ってメディア側に暗黙の支持を与えた形になり、ついには記者を連行しようとした遼寧省西豊県党幹部が非を認めざるを得なくなりました。

ここで話が終われば「中国も変わってきたね。」という話になったのですが、残念ながらこの話には続きがあります。

記者引き渡しを拒否して、紙面で警察を公に批判した王豊斌編集長が辞任を強いられました。

辞任理由は不明。中国のインターネット上では「上部機関の許可を得ずに警察批判の声明を発表したことが原因」との指摘が出ているとのこと。地方幹部のやんちゃを暴くことは可ですが、党の顔に泥を塗るのはタブー。そのあたりをしっかりと押さえていなかった編集長の勇み足、と言ったところでしょうか。

結果的に言えば、「喧嘩両成敗」ですか。

記者の中には正義感の強い人も少なくないのは専制国家中国でも同じこと。ただ、彼らが向かい合うリスクは西側諸国のそれとは比べ物にはなりません。

なまじっか中途半端に規制がかけられているだけリスクも大きくなります。純粋に党や政府の機関紙という話なら大人しくしていれば良いのですが、それぞれ商業化され市場競争にさらされていますから、提灯記事ばかり載せて読者にソッポを向かれてしまってはオシマイなのです。

かといってセンセーショナリズムを追求していると思わぬところで地雷を踏んでしまうこともあります。法律法規規則通達の解釈権はお上にあるのですからやっかいな話です。

そんな中で強大な行政権を持つ政府を監視するという役目を受け持っているのですから正直同情します。場合によっては文字通り命がけの取材になることも……

戦場で取材活動している訳でもないのに重傷を負ったり死者が出る中国の記者事情。まぁ開き直って地方政府を恐喝する輩もいるのもまた然りなのですが……