中国反日時代における中国語学習継続のためのモチベーションについて

先日このような質問をいただきました。

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中国語を本格的に勉強し出して未だ3か月ですが、多少でも中国語を読めるようになると、日本人にとっては不快になる情報ばかり入ってきます。

英語を勉強する場合は、「英語が母国語の人以外とのコミュニケーションが取れるようになる」や「最先端技術の情報が入手できる」といったメリットがありますが、中国語を勉強するメリットや喜びってなんでしょう?

語学は絶え間ない努力が必要なため、努力をするための人参=モチベーションが必要ですが、ブログ主さんはどのようなモチベーションを持っていたためにそこまで中国語を勉強し続けることができたのでしょうか?

お話できる範囲で教えていただけると、幸いです。

モチベーションの維持は語学のキモですが、何が、或いは何をもってモチベーション維持の糧とするのかという点については、個人差が大きいものでもあります。ここでは、一般論を軸にまとめてみたいと思いますが、一般論に入る前に、まずは筆者のケースから簡単に紹介しておきましょう。

筆者の場合

私が本格的に中国語を始めたのは1996年に遡ります。この当時中国では既に反日風味の強い愛国教育が始まっていましたが、社会的にはまだその影響は小さなものでした。留学先で一度だけ中国人の友人に戦争責任について話をふっかけられたことがあるぐらいで、特に反日感情らしいものを感じることもありませんでした。

また、この頃インターネットはまだ黎明期で情報量が少なく、またインターネットに接触する機会そのものが少なかったので、昨今のようにインターネット経由で不快になるような情報に接触することはありませんでした。

この点が今中国語の学習している人とは決定的に異なるので、今中国語を学習している人にはあまり参考にならないかもしれません。

上記のようなマイナスの要因がない一方で、時期的に就職氷河期が始まった時期でもあり、その危機感がプラスの要因になったというのもあります。

中国語は始めからコレだと決めて始めた訳ではなく、他にコレと言ってやりたいことがなかったので、たまたま第2外国語でちょっと齧った中国語でもやってみようかな、というのが、私が中国語を始めた動機です。それがやっているうちにハマり込んでいって、留学までしてしまって、今こんなことをやっているわけです。

これは性格的なものかもしれませんが、私の場合、中国語を始めてから習得するまで、モチベーションが切れたことはありませんでした。将来のために技術を身につける、という意識はありましたが、中国人とコミュニケーションを取るとかという発想はありませんでした。

喜びというのならば、純粋に中国語が上達していくことに喜びを感じていました。敢えて言えば、ゲーム感覚で中国語を学習していた、とも解釈できます。RPGのようなものです。コツコツとやっていけば、その分レベルアップしていく。RPG好きでしたから、その延長線上で中国語をやっていた感もあります。だから勉強を苦痛に感じることはまったくなく、一日中中国語漬けでも平気だったのです。

そんな訳で、私のケースはあまり参考にならないような気がします。私のような人は、モチベーションについて考えることもないでしょうから。

「きっかけ」になる日本人

そこで、ここからは一般論です。まず昨今最大のマイナス要因となっている日中関係の悪化と中国の反日感情について考えてみます。

まず強調しておきたいこととして、ネット世論は社会全体の反映しているわけではありません。これは国を問わないと思うのですが、ネットは一部の極端な意見が増幅されて拡散される傾向があり、リアルとの温度差がかなりあります。これは断言できるのですが、中国の実体社会はネットほど反日ではありません。根っからの反日主義者は極少数で、大多数は無関心か、ネットや報道の影響を受けた、なんとなく日本が嫌いな「ライトユーザー」です。

このライト層は確固たる意識を持って反日感情を抱いている訳ではないので、ちょっとしたきっかけですぐ反転します。オセロみたいなものです。それは例えば日本旅行であったり、実体社会における日本人との接触であったり、日本に関するプラス面の報道であったりする訳です。

自分がそんな「きっかけ」になる日本人になろうとするのは、モチベーションにならないでしょうか。使命感が強い人なら、良いモチベーションになるような気がするのですが。

東アジア統一言語

中国語教育サービスを売り込む業者のセールス文句に「13億の言語」とか「世界の5分の1が使う言語」というものがあります。最近はどうなのか知りませんが、一昔まだ経済規模が小さかった頃は、こんなセールス文句で売り込んでいたのです。

もちろんウソではないのですが、ぶっちゃけた話、個人的にはこのセールス文句にそれほど魅力は感じませんでした。13億とか世界の5分の1とかいっても、結局は一国の言語でしかない訳ですから。華僑は世界中に散らばっていますが、彼らが使う言語は客家語であったり、広東語であったりする訳で、標準中国語とは別物なのです。

ただ、見方を変えれば俄然魅力を増してきます。中国語とは、実質的には東アジア統一言語なのです。

東アジア統一言語というと、では日本語や韓国語は、となるのかもしれませんが、日本や韓国は東アジアの例外です。中国は現在の国家観から言えば一つの国家ですが、見方を変えれば、東アジア大陸国家群の統一体と考えることもできます。

中国は、今欧州がやろうとしている統一事業を、2000年以上前にやり遂げているのです。秦の始皇帝による東アジア大陸国家群の統一がそれです。以来、分裂期もありましたが、基本的には一つの国家として存在しています。現代中国語は東アジア大陸国家群の統一言語であり、中国大陸ならば、この言語一つで自由に行動できるのです。

欧州に喩えるのならば、欧州統一言語が存在するようなものです。そうやって考えれば魅力的な言語だと感じませんか。

ちなみにかの鳩山首相(当時)が「東アジア共同体」と言い出した時、もう既に存在するじゃないか、と思ったものです。日本や韓国は中国という名の「東アジア共同体」に参加するか否か、でしかないのです。

経済的価値

メリット、というか、実利的な観点から考えれば、中国語は日本のすぐ隣にある巨大市場で使われる言語であり、その経済的価値は今後も第2外国語筆頭の地位を維持するもの思われます。仮に一部の識者が唱える中国崩壊論が現実化して国家が分裂したとしても、言語はやはりこの言語なのです。

そういう意味では、一国であろうが複数国家であろうが、この地域の人達はこの言語を使う、もしくは理解する訳で、中国語がその経済的価値を失うことはないと思います。

喜び

中国語を学ぶ「喜び」については主観的な要因が大きいので、一概に論じることはできません。例えば、中国人にも日本のサブカルのファンは多いので、そんな人たちとの交流を楽しむのもいいでしょう。もし中国のもの、例えば歴史や中華圏の芸界に興味が有るのなら、交流の幅はより広がります。或いは硬派に政治的な議論を中国人と行っていくことに喜びを感じられる人もいるかもしれません。

いずれにせよ、交流するのならば、中国人と共有できる興味が必要です。それは何であっても構いません。今はネットの時代ですから、マイナーなものでも、興味を共有しあうことができる人を探すのは極めて容易です。

もちろん、中国語を学ぶ喜びは交流の中にだけあるわけではありません。例えば、中国はアメリカを中心とする自由主義国家と相対する陣営の中心国家ですし、また日本にとっては実質的に敵対勢力となっていますから、彼らの視点は私たちとはまったく異なる訳で、中国語を通して正反対の立場から見た世界の姿を見ることができます。

これはこれで結構面白く、良い知的刺激になります。どちらの視点が正しいかという話ではなく、私にとってはこれも一種のゲームのようなものです。

喜びについては本当に人それぞれですから、私には思いもつかない例はいくらでもあると思います。自分の趣味などを中心に、中国語でできそうなことを考えてみてください。

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Time:
2014-08-10 Last modified: 2015-01-22

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