「中国」云々「中国人」云々は話半分で
中国に関する話題になると、よく「中国は……」「中国人は……」と「中国」や「中国人」を一括りにして論じられることが多いのですが、このような話の中には眉唾物も少なくありません。
もともと中国は国土が非常に大きい国で、東西南北、地域間差異が極めて大きいという特徴があります。日本も国土は大きくありませんが、地理的要因から地域間差異は小さくありません。関東と関西を比較すればわかるものです。中国も同様で、各地の言葉も方言とは言いますが、その実は別言語みたいなもの。南北では主食まで異なってきます。
おまけに「都市は欧州、農村はアフリカ」と揶揄されるほど地域間格差が広がり、また都市間でも位置、規模、行政的地位によって格差が存在し、さらに一つの都市の中でも戸籍の有無や職種によって格差が広がるなど、地域差異に加え各方面の格差がもともと大きい差異をさらに大きなものにしています。
そんな中で語られる「中国」云々「中国人」云々などと語られるものは、往々にして星の数ほどある多様な事例の中の一例でしかありません。
特に「個」についての事例はそうですね。日本でもいろんな人がいますが、極端な例を以って日本人を語ることはできません。中国もそれに同じ。ちょっと考えれば簡単なことなのですが、極端な例を以って中国や中国人を語る例が少なくないことを見ると、人とはそんなものなのかなと思います。ちなみにこれは中国人も同じ。おそらく他の国もそうなのでしょう。
逆に言えば海外における自身の言動は日本人を代表していることを意味します。もしかしたら今目の前にいる外国人の生涯で日本人に接するのは自分ひとりかもしれない訳です。そうやって考えると、特に海外に身を置くものとしては、常に日本人を代表しているという意識を持っていなければ……という思いを強くします。まぁ別に常識ある行動を取っていれば良いだけの話なのかもしれませんが。
閑話休題。「中国」云々「中国人」云々論で当てになるものは「集団」としての言行ぐらいなものです。集団になるとどのような行動を取るのか、また集団の中でそれぞれ独立した多数の個がどのような行動を取るのか。このような事例は国民性や民族性を語る上で参考になります。それ以外のものは参考程度に……もならないものが少なくありません。
差異が大きいので個を以って全体を論じるのは無理があります。同時に格差が大きいので平均を取るのも非常に難しい国でもあります。平均収入なんて語っても意味なし。そもそも統計自体いい加減この上ないものですから、この国の統計数字なんて参考程度のものにしかなりません。
また話がそれてしまいました。中国論のさまざまな誤謬は中国を一つの国として考えているところにあると私は考えています。もちろん、政治的には一つの国なのですが、文化や民族性を語る場合、「中国」は「欧州」みたいなものと考えた方が辻褄が合います。中国人を「中国大陸に存在し、濃淡の差こそあれ一応「中国」というアイデンティティを持っている個体とその集合体」として見ると、中国という国や中国人という人種がわずかではありますが見えてくるような気がします。それでもまだ「気」でしかないのですが。